Contents
- 1 一代で成功した人
- 2 印象に残った文
- 2.1 あなたの心の中にある悶々としたエネルギーは、きっと大きなプラスに転化できる。心の「内圧」が高い人ほど、大きなポテンシャルをもっているからだ。
- 2.2 私は志望通り、慶応義塾大学法学部に合格することができた。十八歳の私は、岐阜の田舎町から意気揚々と上京し、慶応の門をくぐった。そこまでは良かった。だが、大学に通いだして早々、私には強烈な嫉妬心と劣等感、悔しさと無力感にさいなまれることになる。周りの同級生たちは、やたらと垢ぬけていてカッコいい。とくに付属高から上がってきた者は、みなガールフレンドを連れて人生をエンジョイしている。自分専用の車を乗り回す者も多くいた。とにかく金持ちのお坊ちゃんぞろいで育ちがよく、立ち居振る舞いも洗練されている。実際、彼らの親は、多くが有名企業の社長や重役だった。
- 2.3 うらぶれた気持ちで夜の繁華街をあてどなくさ迷いながら歩いた経験から、私には夜の街を漂流する若者たちの気持ちが痛いほど良くわかる。深夜市場の開拓や、ひとりで夜の街を徘徊する人々の心の襞に触れるドンキ流マーケティングを確立できたのは、当時の体験あってこそだ。
- 2.4 少なくとも、状況が何ら変化しない中での休暇やレジャー等による気分転換など無意味である。それは単なる逃げと一緒だ。
- 2.5 よく考えてみれば、私には何の専門スキルも資格もない。不器用で愛想もいい方ではない。飲食店は小資本でも開業しやすいが、料理はインスタントラーメンくらいしか作れないからダメ。ファッションセンスもないからアパレルもダメ、専門知識も技術もないからメーカーも無理。というわけで残ったのは物を売ることくらいしかなかった。
- 2.6 当時はバブル絶頂期で、百貨店やGMS(総合スーパー)などの大手小売業が、我が世の春を謳歌していた。そんな中で、最後発のちっぽけな小売店が、大手と同じことをやったって永久に勝てない。だからどんなことがあっても、絶対に人のマネをせず、独自の道を突き進むぞ・・・・・そうした強い自戒の念を込めたのである。
- 2.7 ビジネスは長期戦だ。
- 2.8 社員同士の馴れ合いや情実は、百害あって一利もない。だから当社では上司が部下の仲人になることさえも禁止している。仕事や人物評価に対する眼を曇らせないための措置だ。
- 2.9 当時もてはやされていたIT産業に代表されるトレンドを追うニュービジネスなどではなく、小売業というれっきとした伝統的産業の世界で、確固たる成功を築いた。
- 2.10 人は育てるものではなく、自ら育つもの。
- 2.11 汎用は楽だが、即死を意味する。
- 2.12 日の当たらないところでも、腐らず頑張って自分を磨いていれば、人生どんでん返しで一挙にのし上がれる時がある。
- 2.13 業界常識とは「勝利者の論理」であって、「勝利のための論理」ではない。
- 2.14 ビジネスの勝負は、野球やサッカーのように一点差でも勝てばいいというものではない。つまり一試合ごとの勝率を競うゲームではなく、どこまでも点の総量(得失点差)を競いあうエンドレスゲームだ。だから「小さな沢山の失敗(負け)」と、「数少ない大きな成功(勝ち)」があればいい。
一代で成功した人
特に裕福な家に生まれたわけでもないワタクシとしては、一代で資産を築き上げた人たちの本はなるべく読むようにしている。
過去に読んで記事に書いたのは紀州のドンファン、松浦勝人氏。
今回は、あの有名なドンキホーテの創業者。安田隆夫氏の本を読んでみた。
小売業で、大手企業が試乗を掌握している中で全く何もないところからドンキホーテという小売事業を成功させた人の書く本ならばぜひ読みたいと思い、メルカリで調べたら300円(送料込み)で沢山出ていたのですぐに買いましたw
印象に残った文
今回の本では印象に残った文が非常に多かったので、本の内容を紹介するよりも、忘れたくない印象的な文の引用を中心として記録していこうと思う。
あなたの心の中にある悶々としたエネルギーは、きっと大きなプラスに転化できる。心の「内圧」が高い人ほど、大きなポテンシャルをもっているからだ。
何をするわけでもなく悶々と歩いてるだけ。そんなことは学生時代もあったし、会社員になってからもたびたびありますw
私は志望通り、慶応義塾大学法学部に合格することができた。十八歳の私は、岐阜の田舎町から意気揚々と上京し、慶応の門をくぐった。そこまでは良かった。だが、大学に通いだして早々、私には強烈な嫉妬心と劣等感、悔しさと無力感にさいなまれることになる。周りの同級生たちは、やたらと垢ぬけていてカッコいい。とくに付属高から上がってきた者は、みなガールフレンドを連れて人生をエンジョイしている。自分専用の車を乗り回す者も多くいた。とにかく金持ちのお坊ちゃんぞろいで育ちがよく、立ち居振る舞いも洗練されている。実際、彼らの親は、多くが有名企業の社長や重役だった。
私は慶応ではなく早稲田、貧乏学生も多いと聞いていたのに入学してみれば慶応ほどではないかもしれないけど私から見たら裕福な家庭に育った人ばかりだったのでここの文章読んだときすごく共感w
うらぶれた気持ちで夜の繁華街をあてどなくさ迷いながら歩いた経験から、私には夜の街を漂流する若者たちの気持ちが痛いほど良くわかる。深夜市場の開拓や、ひとりで夜の街を徘徊する人々の心の襞に触れるドンキ流マーケティングを確立できたのは、当時の体験あってこそだ。
少なくとも、状況が何ら変化しない中での休暇やレジャー等による気分転換など無意味である。それは単なる逃げと一緒だ。
よく考えてみれば、私には何の専門スキルも資格もない。不器用で愛想もいい方ではない。飲食店は小資本でも開業しやすいが、料理はインスタントラーメンくらいしか作れないからダメ。ファッションセンスもないからアパレルもダメ、専門知識も技術もないからメーカーも無理。というわけで残ったのは物を売ることくらいしかなかった。
当時はバブル絶頂期で、百貨店やGMS(総合スーパー)などの大手小売業が、我が世の春を謳歌していた。そんな中で、最後発のちっぽけな小売店が、大手と同じことをやったって永久に勝てない。だからどんなことがあっても、絶対に人のマネをせず、独自の道を突き進むぞ・・・・・そうした強い自戒の念を込めたのである。
ビジネスは長期戦だ。
社員同士の馴れ合いや情実は、百害あって一利もない。だから当社では上司が部下の仲人になることさえも禁止している。仕事や人物評価に対する眼を曇らせないための措置だ。
当時もてはやされていたIT産業に代表されるトレンドを追うニュービジネスなどではなく、小売業というれっきとした伝統的産業の世界で、確固たる成功を築いた。
人は育てるものではなく、自ら育つもの。
汎用は楽だが、即死を意味する。
日の当たらないところでも、腐らず頑張って自分を磨いていれば、人生どんでん返しで一挙にのし上がれる時がある。
業界常識とは「勝利者の論理」であって、「勝利のための論理」ではない。
ビジネスの勝負は、野球やサッカーのように一点差でも勝てばいいというものではない。つまり一試合ごとの勝率を競うゲームではなく、どこまでも点の総量(得失点差)を競いあうエンドレスゲームだ。だから「小さな沢山の失敗(負け)」と、「数少ない大きな成功(勝ち)」があればいい。
非常に良い言葉の多い、控えめに言って最高に面白い本でした!